鳥越俊太郎氏の講演を拝聴いたしました。

2014年11月26日 00:00

鳥越俊太郎氏の講演を拝聴いたしました。
平成26年11月23日 大阪ビジネスパーク円形ホールにて
来年春に新設される、同志社女子大学看護学部の開設記念シンポジュウムに参加して、元毎日新聞社記者でキャスタータレントの鳥越俊太郎氏の講演を拝聴いたしました。
テーマは「がん患者になってわかったこと~看護医療に求められるもの~」でした。
左足を引きずりながら舞台上手より登壇した鳥越氏は、腰部脊柱管狭窄症の手術を済ませて、つい10日前に退院したばかりでまだコルセットを外せないとシャツを持ち上げて皆に見せながら朗らかに講演は始まりました。
「看護士という仕事は本当に大変な仕事だと思います。夜勤は人手不足。しかしナースコールは引っ切り無しに鳴っている。患者は『背中が痒い』だの『のどが渇いた』などと遠慮が無い。特におばちゃんが(笑)」とか「やはり学校に入る前から高い志を持って入学し高度な勉強をする看護士は、『適当にどこでも入れる会社には入れればいい』的な考えで大学に来る学生とは違う。」など最初は看護士の仕事を持ち上げて褒めていた鳥越氏であったが、今回の腰部脊柱管狭窄症の手術で入院したエピソードを話しているうちに、だんだん雲行きが変わってきました。「手術が終わったあと、酷い吐き気に悩まされた。実は点滴で痛み止めの薬を投入したのだが、これに麻薬が混在していたそうで、私は知らなかった。」「同じく手術後しばらくしたら、身体が震えだして止まらなくなった。どうかしたのかと不安になった。ナースコールをする余裕も無いほど酷い状態だった。看護士がたまたま様子を伺いに部屋に来たので症状を訴えると『手術後にはよくあることです』の一言で片付けられた。」などとポツリポツリと恨み節が出て、最終的には「看護士も一度は重篤な患者として入院しなければ、患者の本当の辛さはわからない!」とまで言われました。よほど辛い目にあったのでしょうか。。

tori01.jpeg


鳥越氏の「患者として看護される側に立たないと本当の患者の気持ちは理解できない。」という言葉はもっともで疑う余地は無いと思います。ここで、私の頭に浮かんだのは、「高齢者と向き合っている我々は、高齢者の気持ちを理解している(出来る?)のだろうか?」ということでした。
人の4つの苦しみである“生老病死”の“病”だけは、生まれてから死ぬまで誰もが患う可能性を持っています。しかしあとの“生”と“死”は人生に1度きりしか経験できません。“老”に至ってはあるタイミング以上の寿命をまっとうしなければ一生経験出来ない可能性もあります。
鳥越氏の言うように、「看護士は一度患者になって思い知れ!」と言うことは現実に経験学習が可能ですが、我々のように高齢者介護にたずさわる者に「いっぺん年寄りになってみろ!」と言っても無理なことです。
それだけ我々はさまざまな膨大な情報を身の中に収めて、知識と想像で現場に立ち向かわねばなりません。のんべんだらりと毎日をただ過ぎるに任せている者や、自分の経験したことの無い患者の想いや身体状況を慮ることもせず目前の困難ごとを自分の経験知だけで解決しようとする者には、出来事の根底に思慮することが出来ず薄っぺらな対応になってしまうのではないでしょうか。
さて、弊社の社員には、適当な嘘や勝手な判断でその場しのぎをしている従業員はいませんか?お客さまに真摯に寄り添えない従業員は、ウチの暖簾に合いませんよ。思い当たる者は早々に悔い改めましょう!
スポンサーサイト

ブログランキングに参加してます☆今日も ポチっとお願いします♪
にほんブログ村 介護ブログ 福祉・介護用品へ


コメント

    コメントの投稿

    (コメント編集・削除に必要)
    (管理者にだけ表示を許可する)

    トラックバック

    この記事のトラックバックURL
    http://kaigoyuzuriha.blog44.fc2.com/tb.php/1750-06962419
    この記事へのトラックバック


    最新記事